≪第一戦≫ 対 三重医水 (2017.09.23 岐阜大G)

  1 2 3 4 5 6 H E
三重医水 6 0 0 2 0 0 8 8 3
名大医 3 4 3 3 2 4x 19 16 1

三重医水:渡辺(4)、西(2)-村田

名大医:左合(4)、金谷(2)-伊藤

 

一塁打:小野島、高橋、廣田3、岩瀬3、安部2

二塁打:岩瀬、伊藤、安部、廣田、林

三塁打:加藤2

本塁打:加藤

 マンハッタンのニューヨーク市病院の806号室の北側の窓からはハーレム川とそれに架かるロバート・F・ケネディ橋が見える。そして、その先にはヤンキースとメッツの本拠地ヤンキー・スタジアムがある。もっとも、摩天楼に隠れて見えないのだが。ヤンキー・スタジアムまで車で15分程だというのに、806号室で病気と戦う9歳だったマックスは一度も行ったことはなかった。ヤンキースが大好きな彼はいつも病室の小さなテレビで応援していた。

 そんなマックスが特に応援していたのが、日本から来たスラッガー、ケンタローだった。「マツイ、クロダ、イチロー以外のジャパニーズにはヤンキースのユニフォームを着る資格なんざないね」そんなことを言う大人たちに彼は「ふざけるな!ケンタローはA・ロッドにも負けないバッターなんだ!」と顔を真っ赤にして怒っていたと母のキャサリンは言う。

 9月2日、ヤンキースの選手一同が病院へ慰問に来た際、マックスが自分のファンだと聞いたケンタローは彼にサイン入りのバットを手渡し、「君の10歳の誕生日の9月23日、必ずホームランを打って見せるさ」と約束したという。

 だが、マックスが誕生日にケンタローのホームランを見ることはかなわなかった。誕生日の一週間前、急激に病態が悪化した彼は誕生日の2日前、21日に帰らぬ人となってしまった。

 そして、9月23日ミエイスーイ戦、この日のケンタローは一味違っていた。2打席目、3打席目で連続スリーベースを打って迎えた第5打席、ついに彼の放った打球はライトスタンドへ一直線、さよならホームランである。ホームインした彼は天を高々と指差していた。

 スタンドにいたファンへ取材によれば、飛んできたホームランボールは並んだ観客席に何度も跳ね返り、ついに見つかることはなかったという。そのボールはマックスのいる天国まで届いていたに違いない。

≪第二戦≫ 対 愛学歯 (2017.09.24 岐阜大G)

  1 2 3 4 5 H E
名大医 4 6 2 2 5 19 13 0
愛学歯 0 0 0 0 0 0 1 3

名大医:金谷(2)、林(1)、下田(2)-伊藤

愛学歯:長尾(2)、浜口(2)-三尾、三尾(1)-浜口 

 

一塁打:岩瀬、島崎、宮島、加藤2、近藤2、高橋3

二塁打:加藤2

三塁打:岩瀬

本塁打:

 時は江戸。徳川様の天下泰平のご時世とあっては、剣の腕に自信があるだけではおまんまに有り付けない。かの有名な剣豪と同じ名を持つ近藤武蔵も例にもれず、いつも腹を空かせておった。武士は食わねど高楊枝を気取っていたが、ついに限界が来たようだ。

「野垂死にか・・・」

そう呟いて、隅田川の土手に倒れこんじまった。

 

 気がつくと布団の中。「この世もあの世も意外と変わらねえな」そう思ってあたりを見回すと、どうやらまだあの世ではない様子。古びた長屋の一室らしい。

「気がつきましたか?」

そう言って握り飯を差し出してくれた娘がお涼だった。どうやら、行き倒れていた武蔵を助けてくれたらしい。それからの武蔵は変わったそうなお涼に恩を返したい一心で、刀をバットに、粋な扇子をグローブに持ち替え、天竺からやって来た象なる巨大な獣アベたちと「やきう」なるものをして働いた。やきうで稼いだ金を貯めて、晴れてお涼と夫婦(めおと)になることもできた。

 そんな長月のある日、お涼がやきうを観に来るってんで張り切った武蔵。打っては二安打、守っては矢のような球で刺殺。これには、昔の親分も「刀で人を刺したがっておった武蔵がこうもまともな男になるとはのう」と感心しておった。

 そんな幸せな日の夜、酒を買いに行ったお涼が突然、骸(むくろ)になって帰ってきた。目撃者によると切った相手は大目付の懐刀。いくら口説いても首を縦に降らないお涼に逆上して切りつけたらしい。

 

 静かに通夜を済ますと、畳の下にしまってあった刀を取り出す。線香に火をつけ、「行ってきます」と手を合わせてから静かな街に出た。日の出前。最も闇の深い時分だ。

≪第三戦≫ 対 名産大 (2017.09.30 岐阜大G)

  1 2 3 4 5 6 7 8 9 H E
名産大 0 0 1 0 2 0 0 0 0 3 8 0
名大医 0 0 0 2 0 0 5 0 x 7 7 2

名産大:原田(4)、田沢(2 1/3)、新田(1 2/3)-田中

名大医:金谷(4 2/3)、下田(4 1/3)-伊藤

 

一塁打:安部、廣田2、下田

二塁打:加藤2、安部

三塁打:

本塁打:

これは、天竺の象アベが武蔵一味と出会うまでのお話。18世紀初頭の北インド、アベはまだ野生の象として群れを作りインド亜大陸を駆け回っていた。インドゾウは一般にメスと子どもの象だけで群れを作り、発情したオスがいれば、群れに加わると言われている。オスであるアベが群れにいたということは、当時まだ子どもだったのか、常に発情していたのか、私の知るところではない。

 群れで行動するとなると、つきものなのが縄張り争いである。そんな縄張り争いする群れ同士が用いる独特の方法をサンスクリット語で「ヤキュウ」と言われる行動だった。これは紀元前12年ごろインドで編纂された書物リグヴェーダにも「争いをする者同士の例え」としても記述が見られる。

 アベが群れを離れる前の最後の戦いでは、3対7で相手の群れを負かし、彼は3-2という記録だったという。もっとも、象同士の戦いでこの数字が何を意味するのか人間の我々には全くわからないが・・・

 その後群れを離れたアベは、当時北インドを支配していたムガル帝国の兵士たちに捕らえられ、戦象や踏みつけの刑用の象にされた。そして、ムガル皇帝に「なんとなく」という理由で選ばれた彼が8代将軍吉宗への贈り物として日本へ来たのだった。

 しかし、なぜ将軍に送られたはずのアベが武蔵のような下級武士たちとともにやきうをしていたのか?

 武蔵が幕府で飼育員のバイトをしていた時にあまりに懐いてしまったため、武蔵がバイトを辞めた際に他の武士の手に負えなくってしまった。それを聞いた将軍吉宗はすぐさまアベを手懐けようと奮闘、しかし、暴れん坊将軍といえども相手が象ではなかなかうまくいかなかった。結局、泣く泣く、武蔵にアベを贈ったことで彼がやきう団に入ることができたのだという。武蔵をもう一回雇えばいいと思うだろうが、それは暴れん坊将軍のプライドが許さなかったのだろう。

≪第四戦≫ 対 岐阜全 (2017.10.01 岐阜大G)

  1 2 3 4 5 6 7 H E
岐阜全 0 0 1 1 0 0 0 2 3 4
名大医 1 0 2 1 1 0 4x 9 9 1

岐阜全:宮脇(7 1/3)-上条

名大医:金谷(6)、下田(1)-伊藤

 

一塁打:高橋2、伊藤、岩瀬、加藤、安部

二塁打:伊藤、安部

三塁打:

本塁打:伊藤

自分の腹に刺さった包丁を見て、「なんでこんなことになっちまったんだ?」と思う自分と、「やっぱり〜」と思う自分がいた。

 多少見た目がいいからって、それだけでやっていけるほどホストの世界は甘かねぇ。「こんなクソ田舎でくすぶってる訳にゃいけねぇ」「東京で一旗あげるぜ」「東京でえらくなってやるぜ」そんな夢見てやってきた東京。金もねぇ。頭もねぇ。忍耐力もねぇ。あるのは多少の見た目だけ。そんな俺が真面目にコツコツアルバイトして金貯めるなんて出来るわきゃねんだ。それで思いついた夢がホスト王になることさ。夢中で金と夢だけ追ってたら、途中で夢なんかどっかいっちまった。初めは、貢いでくれる女に闇金紹介して、闇金からも女からも金もらう、なんてことする位だった。そうやって、多少の金を掴んだと思ったら、女にヤク売ったりして、いつの間にか人の道から外れちまってた。そこから先は真っ逆さまさ。

 こんな風に落ちてきたフライを2ヒットのファースト高橋が捕って、むかえた7回裏にサヨナラで2対9、ゲームセット。

≪第五戦≫ 対 岐阜医 (2017.10.07 岐阜大G)

  1 2 3 4 5 H E
岐阜医 1 0 0 0 0 1 3 3
名大医 1 2 2 6 x 11 9 0

岐阜全:土坂(3)、立川(1)-松岡

名大医:下田(5)-伊藤

 

一塁打:安部2、岩瀬、伊藤、小野島、廣田、下田

二塁打:加藤、安部

三塁打:

本塁打:

 次の角を左に曲がり、2(220m)ほど真っ直ぐ進めば、お涼の仇、大目付の懐刀が住む屋敷だ。角を曲がり、左へ曲がる。その時だった。一人の男が武蔵の前に立ちはだかった。どこからどう見てもカタギには見えないその男こそ、武蔵の兄貴分、「鬣(たてがみ)のケンさん」こと今井健登であった。

 

「ケン兄じゃねえか。こんな時間に何してやがる」

 

「あ?そらこっちのセリフだ。一度捨てた刀腰にぶら下げてどこいくんだ?武の字。」

 

「兄貴には関係ねえ。ちょいと野暮用よ。」

 

そう武蔵が言うと、少しの間が空き、ケンさんが低い声で、

 

「お涼ちゃんの仇、、、取りに行くのか?闇討ちなんておめえらしくねえじゃねえか。

 

 どうしてもってなら、ここで俺を斬って俺を切ってからにしやがれ。闇討ちなんて教えた覚えはねえぞ。」

 

「止めねえでくれい!今の俺はいくら兄貴でも本気で叩き斬るぜ。」

 

そう言って、武蔵が刀に手をかけた時、

 

「パシンッ

 

ケンさんの強烈な張り手が武蔵の頬を打った。

 

「べらんめえ!そんなことして、、、お涼ちゃんが喜ぶと思ってんのか?」

 

厳しいが優しい口調だった。そう言われて、武蔵ハッとした。そして、思い出した、お涼との幸せな日々、それからお涼の笑顔を。

 

「す、すまねえ、兄貴。俺、どうかしてたよ。」

 

次は空を見上げて、

 

「すまねえな、お涼。おめえはすぐカッとなって手が出る俺を叱ってくれてたっけなあ。」

 

そう言う武蔵目には涙が溢れていた。

 

 

 

 武蔵の闇討ち計画はかくして兄貴分であるケンさん、そして亡きお涼によって止められたのであった。実のところ、武蔵の報復を恐れた男が屋敷に大量の護衛を雇って、武蔵の襲撃に備えていたことを知っていたケンさんが武蔵の身を案じて、一芝居打ったというが、、、

 

 

 

 待ちに待った大江戸やきうリーグが開幕。雨やら、ころりが流行るやらで、大会が大幅に伸びてしまったが、神無月の七日、遂に最終戦。迎える相手は武蔵と同じく今まで全勝のチーム、優勝決定戦である。ケンさんの采配は的中し、見事111で優勝。

 

 

 

 そして、祝勝の儀。武蔵チームが並ぶ前には、将軍、そしてその家臣たち。将軍から直々に杯を受けた後、

 

「お主ら、何か褒美はいらんか」

 

こういった儀式で将軍に問われても、通例「滅相もございません、将軍のお言葉だけでもあまりあるほどでございます。」そんな風に答えるものだが、武蔵が口を開いた。

 

「恐れながら」

 

一斉に皆が武蔵方を向き場が静まり返った。これには将軍も驚きながらも家臣の手前、太っ腹なところを見せねばならない、

 

「何じゃ?申してみよ。」

 

「恐れながら申し上げます。そちらの江戸幕府大目付であらせられます池田政倫殿。その家臣、梅村梅太郎との果し合いをおゆるしくだされ!」

 

将軍は勿論快諾。

 

「よきにはからえ!」